サウナの効用

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というタイトルで何か書こうと思った。というからにはもちろん。私はサウナが好きで、もう十年以上も、週一ペースで、大きなサウナのある近辺のスーパー銭湯とやらに、足繁く通っている。
もはやサウナは私にとって、生活の一部。なくてはならぬものになっているのだが、しかし、興味のない人からしたら、あんな熱いところにはいって、どこが楽しいの? とそう思うことだろう。
実際、私もサウナが好きになる前の二十代のころはそう思っていた。
そもそも考えてもみてほしい。
外気が三十度も過ぎれば、ほとんどのひとはうんざりするだろう。できるならエアコンの効いた部屋から、一歩も出たくない。そう思うはずだ。
それなのに、あのサウナの、100度近くもある密閉された空間へ、何を好きこのんではいらねばならないのか、理解に苦しむのは当然である。
だがしかし、大人になればなんとなく、理解できる人もいると思うが、人間、案外、自ら進んで苦しみを求めにいってしまうところがある。
じっと耐え忍ぶ。そんな状況に得もいわれぬ快感をおぼえてしまう人というのは確実にいて、まぁ、つまりはマゾ気質の人である。
そういう人にとって、サウナというのは、実にお手軽にその欲求をみたすことのできる場なのだ。
そう。かくすまでもない。私もまたそうしたマゾよりの人間なのだ。

 

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高温の密閉された空間で、その熱気に汗をながしながら耐えしのぶ。そうした過酷な状況下は一部の人にとっては快感なのである。
そしてまた一転、そこから出て、冷たい水風呂につかったときの得もいわれぬ開放感。
苦しみのあとの解放。これこそがまさしく、サウナの醍醐味といえよう。
まぁ、そのあたりのことは、漫画家であり、「ととのったー」のサ道としても知られるタナカカツキさんが語っておられるので、それを読んでもらうのが、ここで私がくどくどとつたない文章をつづるよりもはるかにわかりやすいことだろう。
Googleで、サウナ、タナカカツキと検索すれば、列挙されるので、ぜひそちらを参照してほしい。
いかに水風呂が重要であるかを力説されている

 

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そう……。水風呂。
サウナについて語るのならば、やはりその存在は無視することができない。
先に断っておくが、体に負担をかける行為なので、くれぐれも注意して、異変をおぼえたらすぐにやめることと注意をうながしておくけれども、何、行為自体は、別段むずかしいことではなく、ただサウナから出た後、水風呂に極限までつかっているだけのことである。
最初のうちこそ単純に気持ちいいだけだが、体から熱が放出しまうと、じわじわと冷気がおそってくる。
まず気がつくのは、吐く息が冷たくなっていることだろう。
冷気が体の芯へと達してきた証拠である。
内臓がはっきりと冷たくなっているのがわかるのは、なかなか新鮮な体験だ。
そして次に、気づくのは聴覚の異様なさえであろう。
風呂場に響く水音。周辺の人の世間話。ピチャーンとしたたり落ちる水滴。空気の振動さえもが聞こえるような気になるほどだ。
そして次に視覚の変化に気づくだろう。
目の前の世界。(といっても、この場合は裸のおっさん、こどもがいるだけだが)がみょうにくっきりと浮かびあがるように感じられ、色彩が鮮明さをましていくのだ。
つまり、冷気がそのように極限状態にまで達すると、五感がさえてくるのである。
これはいわば、覚醒した、という状態なのだろう。
これは普段の生活ではなかなか得ることのできない体験である。
トリップする、というのはまさにこんな感じになるのかもしれない。
そう。こうした体験したいがために、私はサウナにはいっている、といっても過言ではないのである。
これはいわば、合法的なドラッグ。といってもいいだろう。
そしてこれは一種の苦行。インドの修行僧などがおこなっているものと同じなのかもしれない。
彼らがなぜあんなに苦しい修行をするのかといえば、苦しみのはてに、おとずれる、ナチュラル・トリップ、覚醒を得たいがためなのだろう。
それを彼らは悟りを開いた、というのではないだろうか。(ほんとかよ)


ともあれ、このようにサウナは体にいいだけでなく、精神面においてもいい効用があるので、一度体験してみることをおすすめする。
以上ですっ。