詩、みたいなもの。あるいは、ただの愚痴。
人と会話をしながら私は思う。思わずにいられない。
みんな自分のことが大好きなんだなーって。もう自慢したくてしょうがないんだなーって。
いや、別に悪いことじゃない。自分のことを好きなのは、ぜんぜん悪いことじゃない。むしろいいことだ。
ほら、よく言うではないか。自分を愛せない人間が、他人を愛せるものか、とか。実際、その通りだと思う。
でも、ね。さすがにうんざりしてくる。なんども自慢話を聞かせられると。
じゃ、会話しなきゃいいじゃん、とか思うけど。イライラしながらも、なんとなくつきあっちゃうんだよね。
私ってマゾかもしれない。くやしがっている、その状況をどこかで楽しんでいるのかも。
いいけど。いや、よくないか。
というか、かくいう私も、無意識のうちに、人との会話のなかで、自慢しているかもしれないし。多分、そう。人はおそらく、自画自賛せずにいられない生き物なのだ。
そうして集団の中において、自分の立ち位置を確認する。人とくらべて、どこのランクに属しているかを知ることで、ようやく安心できるのだ。
それは競争社会の弊害だろうか?
これまではずっと、社会の作り出した学校、そこでおこなわれている教育システムが、その原因であるとずっと思い込んでいた。
けれど、そうじゃない。それは、人が集まり、生活していく過程において、自然とできあがっていったものなのだ。
つまりは人は無意識に、それをもとめているのだろう。おそらく自分自身でさえも。
そのように現在の教育システムができあがったのだとすれば、私は誰も責めることができずに、だまりこむしかない。
どこにも、たおすべき敵などいなかったのだ。破壊するべき壁などなかったのである。
ずっとこの日本という社会が生きにくいと感じていた。
人のあつまるなかで、かならずおこる競争、差別、格付け。
そうしたもののなかに組み込まれたくないし、誰かに負かされたくないし、打ち負かしたくもない。
というわけで、私は気づくといつも、そこから逃げ出していた。
でも結局逃げ切れるものではないと気づく。一人では、生き抜くことはできないのだ。どこかで、折り合いをつけるしかない。
そこで私は一つの仮面をかぶり、おどけてみせる。知らぬふりを通す。
あいつ、変わってんな。ちょっと変な人だよね。
あくまでも嫌われない程度に、そうしたキャラを演じ続ける。私がこの社会で生き抜くにはそれしかないのだ。
それはいつまで続くのだろう?
おわりは? ……ない。生きているかぎり、それは続く。
解放されたければ、この世からおさらばするしかないけれど。勇気も決断力もない私にはそれもできない。
この気持ちわかってくれる人はいるだろうか?
わからない人はしあわせだ。
そしてわかってくれる人は、同情を禁じ得ない。なぜならあなたも同様に、きっと不幸な人だから。