仲の悪い親兄弟とうまく付き合う方法についての考察

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 親兄弟と一緒にいると、どうにもイライラさせられる。腹が立ってくる。そんな悩みを抱えている方はいるでしょうか? 
 けっこういると思います。というか、かくいう私がそうなので。
 ええ。とくに思春期の頃は、それはもうたいへんでした。正直、イライラどころではありません。一緒の空間にいると殺意すらおぼえることもあったほどなので。。
 とにかく言動のいちいちが気に触るのです。しまいにはほとんど口もきかず、顔を合わすことすら避けていました。
 当時は結局、その関係は修復されることもないまま、私は高校卒業と同時に家をとびだして、それきりになっていました。
 そのように逃げ出さなければ、なにかおそろしい犯罪をおかしていたかもしれません。だから今でもニュースで、家族間における殺人事件などの報道を耳にすると、ひとごとではないのです。犯罪にはしってしまった加害者の気持ちがわかってしまうようで。
 それにしても、なぜ、それほどまでに憎悪がふくれあがり、コントロールできないまでになってしまうのでしょう?

 近親憎悪という言葉があります。親族同士、または性格、立場が似通ったもののあいだにうまれる憎しみの感情のことですが、ふりかえってみると、憎悪の要因は、自分自身とそっくりな内面、思考、行動、をする他人がそばにいる、ということへの苛立ちから生じていたのかもしれません。
 自分が何かしようとすると、同様なことをしようとする他人がすぐそばにいる。ときに先回りされたり、会話の主導権をうばわれたり。いつしか競争するようなかたちとなって、こうしたことが日々つみかさなっていくうちに、しだいに相手がうとましく、憎しみがつのっていくのだと思います。
 それはまさに自分と向き合っているような状態ですね。つねに鏡と向き合っているようなもの。
 自分の見たくない部分、欠点がつねに目のまえにちらついてる。それはたしかに不愉快にもなるでしょう。
 そう。だから家族が嫌いという人は、自分のことが嫌いということかもしれません。逆に家族間の仲がよい人は、自分が大好きな、しあわせな人ということになるんですかね。
 なるほど。私は自分のことが嫌いだったわけですね。

 そんなわけで、原因はなんとなく、わかってはきたものの。これを治すにはどうしたらいいのか。
 というのも、年をとり、長男という立場もあって、いろいろと家族と付き合わねばならぬ機会がふえてきたので、関係を修復したいなと思いはじめたのです。もう大人だし、いいかげん意地をはってるのもどうかと思って。
 ということで、物事の変化をのぞむのならば、まずは自分の意識を変えるところからはじめようと思いました。

 まずはじめの一歩として、悪いは私のほうだということにして、親兄弟と会うさいには、一歩ひいたスタンスで、会話をしてみることにしました。
 そしてさらに、頭のなかで、彼らとはじつは身内ではない、アカの他人だと自己暗示をかけます。
 他人であれば、たとえ嫌いだったとしても、あからさまに嫌悪をあらわにすることもできませんし。愛想笑いのひとつでも浮かべてやり過ごすしかありません。そんな気持ちでいどんでみたわけです。
 そんなふうに、距離をもって、向き合っているうちに、わりと普通に会話はできるようになってきました。一触即発だった過去からすれば、大躍進です。

 そしてさらに二歩目として、こういう風に考えるようにしてみました。
 おもえば兄弟というのは、同じ両親のDNAをうけついだ、外見から中身から、もっとも自分にちかい構造をもった他人です。それって、じつに貴重な存在だ、と気づいたのです。
 つまり自分がすぐそこにいる。長所や短所や、行動、思考などなど。観察対象として、これほどおもしろ素材はほかにあるだろうか? いやない。と。
 だってじぶんを第三者の視点からながめられるなんて、得難い体験ではないですか。そう考えるようになったのです。
 兄弟と対面することで、自分を客観的にとらえ、短所はなおし、長所はのばすことができる。まさに学習の時間であるととらえるようになりました。
 そう考えるようになってから、あれほど苦痛だった、親兄弟と向き合っている時間が、むしろ楽しみになってきたのです。

 実際、最近は兄弟間の関係もじつにおだやかなものになり、トラブルはおこっていません。
 というわけで、この駄文が、仲のわるい兄弟をもちなやんでいる人にとって、ちょっとでも参考になればさいわいです。
 というところでペンをおく。