不幸せな私が、幸せになる方法

何をやってもうまくいかない。どうも自分だけ、いつも貧乏くじをひいている気がする。そう愚痴ったら、単なる気のせいだ。被害妄想だよと、ある人は忠告してくれました。
でもそうだろうか? どう見ても、自分だけがうまくいってない気がするんです。
まわりの人たちは、楽しそうに、幸せそうに生きているというのに、自分だけいつも不幸で、まったく明るい将来が見えないんです。
こんな自分が幸せになれるだろうか? と疑問に思う時点で、僕は今、不幸なんでしょう。

 

自分が幸せか不幸か、をはかる基準は、やっぱり、自分のまわりにいる人たちに比べて、どうなのかってことだと思います。 
隣のあいつよりはまだまし、だとか、でもこっちの隣のやつに比べると、明らかに負けてるな、とか。
自分の目にうつる範囲内にいる人たちの中で、自分がどこの地点にいるのか? どのへんにランクしているのか? で判断してるんだと思います。

 

なぜこんな風に、せまい範囲内で、幸不幸を判断する、そんな思考法をするようになったんだろう。

世界は自分が思ったよりはるかに広く、そこには様々な考え方が存在しているというのに。

やっぱり学校の教育システムが、そうなっているからでしょうか。
小さい頃から、一つの空間内に同年の子供が閉じ込められた状況下で、つねに周囲と比べ競争し、その基準からはずれたらいじめられる。という環境のせいかもしれない。

 

でも何でそんな窮屈なシステムになってしまったのか。
国のせい? いや、そもそも日本の民族性がそういうものを必要としているのかもしれません。
社会を構築していくなかで、輪を乱し、はみだす存在は、何よりも脅威ですから。
その結果、誰もが密室の中に閉じ込めらたまま、外を見なくなる。
だから常に、その狭い範囲内で優劣を競うことしか頭になくなってしまう。

 

とすれば、この日本社会で生活していくかぎり、そうした思考法からぬけだすのはむずかしいでしょうね。
幸せになりたいなら、まわりにいる人より、すこしでも上の立場へと立つこと。これしか道はない。
持って生まれた才能、頭脳、外見、性格、社交術などなど。他人にくらべて少しでも得意な力をのばして、隣にいるやつより、上へいき、金を稼ぐなり、ワンランク上の恋人、友人、家族をつくるなりするしか、幸せになる道はないのかな。

つまり幸せを実感するためには永遠に競い続けなければならないというわけ。面倒臭いですね。


そんなのはいやだ。わたしは真の意味での幸せを手にいれたい。
でもそうするにはどうしたらいいでしょう?
まずは、これまでの義務教育を通じて、徹底して、頭に植え込まれた洗脳をとかなければなりませんね。
金があり、いい車に乗り、家を持ち、美しい伴侶と、かわいい子供をもち、優雅な老後をすごす。といった、価値観をいったん全部すてなきゃいけない。
でも、ほとんどの人はできないんじゃないかな。
もしそうした考え方をリセットできたとしても、まっているのは、いばらの道でしょうし。
何しろ社会はそうした、外れた人を、決してゆるさないですから。
親族もいい顔はしないでしょう。
家庭を持っている人なら、妻や子供に愛想を尽かされるかもしれない。稼ぎのない男は、もう用済みだなんて言われて。

 

そうした試練を乗り越えて、それでもなおかつ真の幸せを手にしたい、という人がするべきことは、自分で自分の居場所をつくる、ということになりますね。
社会のルールが気に入らないなら、自分で、自分に都合のいいルールを作ってしまえばいいわけです。
具体的に今だとネットで、個人で起業ということになるのかな。フリーランスになるとか。
これまで誰もが目をつけていなかった、ニッチな部分をついて、金銭的に、社会的に成功をおさめることができれば、幸せになれるかもしれない。

 

といっても、これを成功させることができるのは、才能と運にめぐまれた、ほんの一握りの人しかいないでしょうけど。