愛される人とそうでない人

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YouTubeにアップされているいく人かの好きなアーティスト。映画監督だったり、ミュージシャンだったり、漫画家だったり、スポーツ選手だったりのインタビューをひまつぶしに見ていた。

 

そして成功した人たちに共通しているのは、持って生まれた才能はもとより、それを引き立ててくれるような周囲の人間関係にめぐまれているなぁということだった。
もし同じような才能を持っていたとしても、人に恵まれていないせいで、活路が見いだせないまま、うずもれてしまったような者もきっと、数多くいるにちがいない。

 

たとえば、とある映画監督などは、身なりもよくなく、ボーッとして何を考えているかわからない、そんな外見をしていながら、全身から愛くるしい雰囲気がただよって、どうにも憎めない、そんなタイプの人間だった。

 

映画監督して成功するためには、人たらしでなければならないらしい。周りの人から自然と手を差し伸べられるというのか、損得抜きで、この人のためなら仕方ない、ひと肌ぬいでやろうと思わせる、そうしたタイプでないと、なかなか勤まる職業ではないというのだ。
なるほど。その監督は見るところ、まさしく人たらしな男だった。

 

そして私はこうした人を前にすると、いつも強い劣等感にみまわれる。妬みの感情でいっぱいになり、息苦しくなってしまうほどだ。
というのも私はそれとは真逆なタイプの人間だからだ。
何となく、コレといった理由はないけれど、言動にいちいち反感を抱いてしまうそんな人間があなたのまわりにいないだろうか?
どうやら私はそういうタイプの人間らしい。
自身ではそういうの、よくわからないんだが、人づてに聞いたり、過去の経験などを統合すると、まさしく私はそんなやつなのだった。
そうした自覚をもつようになってからは、ずいぶんと気をつけてはいるんだが、あまり変化はないようだ。
こうしたものは努力で変わったりというものではないらしい。生まれついてのものなのだろう。
ゆえに無条件で愛されてしまうようなタイプの人がうらやましくてしかたない。
どうして私はそう生まれつかなかったのか。不公平じゃないかと、神にでもうったえたくなろうというものだ。

 

いやしかし。現実問題として本当に、周囲からたすけてもらえない人は、かなり苦労する。社会的成功がのぞめないのはもとより、普通に生活することさえ場合によっては困難になる。
というわけで、選ばれなかった方である私は卑屈な感情をおさえこみつつ、周囲のご機嫌をうかがい日々をどうにかやり過ごすしかないわけだ。

 

とはいうものの、きっと選ばれた人だって、当人からしてみれば、きっと大変なんだろう。
ましてやそれなりの地位を築いた人ともなれば、周囲からのプレッシャー、私のような妬む者から足を引っ張られたりすることもあるだろう。何より物をクリエイトするのは、血のにじむような苦悩や行為をともなうはずだ。
こんな才能などいらない。ないやつがうらやましいなんて逆に思っているかもしれない。

 

どちらにしろ自分にあたえられた現実とむきあって、どうにか折り合いをつけていくしかないのだろう。