CDを捨てる
本に続いて、CDも捨てることにした。これもまた一時期、バカみたいに買っていて、枚数にすると、ゆうに千枚近くはあるだろう。
塵も積もれば山となる。さすがにこれだけあると、本当に場所をとって邪魔だし、重い。何より引っ越しの時とかうっとうしくてたまらない。というわけで処分決定。
でも本の時より、心理的負担は小さいかな。というのも、圧縮音源として、iTunesに全部リッピングしてあるからだ。処分したところで、いつでも聞けるという安堵感がある。
お気に入りのアルバム数十枚を残して、あとはホイホイっと断捨離していきました。
しかしそうはいうものの、ここ最近ではそうしたパソコン内に取り込んだ圧縮音源を聴く機会もなくなりつつある。
というのもspotifyとかapple musicとか、ストリーミング配信サービスが充実してきているからだ。手軽だし、中身も豊富だし、音楽を聴くなら、そちらの方が断然にいい。
特におもしろいのは、おすすめ、としてこちらの好みに合わせて自分のまだ知らない、最新の、または過去の楽曲が紹介される機能だ。新たな発見があって、そうしたものを追っているだけで時間が過ぎていくし、足りないくらいだ。iTunes内の音源を聞いている暇などない。
思えばここ10年以上、最新ヒットというものにまったく興味がなくなって、溜め込んだ過去の音源ばかりを繰り返し聞いていた。それで十分だと思っていた。
それがここへきて新しい音楽を探し、発見する楽しみを持てるようになったのは、すべてspotifyのおかげなのだ。
そのようにリスニング・スタイルが変化すると、ためこんだ圧縮音源もいらないような気がしてくる。
断捨離がくせになると、身の回りだけでなく、パソコン内も整理したくなってくるのだ。何より、ハードディスクのかなりの割足を占めるそれらは、はっきり、邪魔な存在と断言していい。いっそこれも断捨離してしまおうか。
それにしても、こういう風に考えるようになるなんて、以前の自分ならば考えられないことではある。
もはやモノを所有するという時代は過去のものとなりつつあるのかもしれない。シェアリング、共有するという考え方こそがこれからのスタンダートとなるのだろう。
思い起こせば、身一つで、世界中、どこへでも気軽に飛んでいく、そんなライフ・スタイルに昔からあこがれていたものだ。だからこれでいいのかもしれない。
身も心も身軽になって、残りの人生、軽やかに生きたいものだ。